サイレンススズカ 伝説の逃げ馬へ・・・ 1998天皇賞(秋)

思い出のレース1998毎日王冠の続きです。

グラスワンダー、エルコンドルパサーという若き無敗馬2頭を破ったサイレンススズカは、次のレースを目標だった天皇賞(秋)に定めました。

11月1日の第11レースに行われたこのレース、サイレンススズカは1枠1番でかつ単勝は圧倒的な1番人気でした。
この異常なまでの「1」の並びは、彼が国内で1番の馬であることの象徴なのか、それとも別の何かの前兆なのか、この時は知る由もありませんでした。

この馬にとってこの天皇賞(秋)は1年前に一度敗れているレース。
この年はいわばリベンジ戦でした。

前年のレース時はまだ成長過程にあったためか、大逃げを打って場内を沸かせたものの、最後は後続馬に差され結果6着。
無謀にしか見えないペースでの逃げでしたが、それでも6着に粘ったことを高く評価する専門家もいたようです。

 

そして、翌年になってからまさに才能が開花。
2月14日にバレンタインSに勝利したあとは、中山記念、小倉大賞典、金鯱賞、宝塚記念、そして例の毎日王冠と、重賞を6連勝します。

特に金鯱賞では11馬身差のレコード勝ちという離れ業をやってのけ、宝塚記念同様に今でも語り草となっています。

 

そして最大の目標に据えたこの天皇賞(秋)、強力なライバルもおらず、死角は見当たりませんでした。
馬場状態は不問、展開についてはむしろこの馬が作るため問題なし、馬券的に旨味がないために他の馬を買ったとしても、誰もがほぼリベンジは果たされると思っていたと思います。

 

さてそのレース。

サイレンスズカはスタートダッシュを鮮やかに決め、2ハロン目からは加速して後続馬を突き放します。
1000m追加タイムは57秒4と普通の馬では玉砕ペースですが、この馬にとってはマイペースです。

3コーナー手前では2番手に10馬身差をつけており、直線を待たずしてすでに勝負は決したようにも見えました。
何せこの馬は直線でなお再度加速する様を前回の毎日王冠で見せつけていますから。

ところが4コーナー手前でサイレンスズカは急に失速します。

私はテレビで見ていて最初はこの馬でもバテたのかと思いましたが、「サイレンススズカに故障発生です!」という実況を聞いてようやく状況が飲み込めました。
続けて「沈黙の日曜日!」と叫んでいたのが印象的でしたが、その言葉とは裏腹に次々に抜かれていく様に場内は騒然としていました。

オフサイドトラップが勝利を決めたあとも、私はレースの結果よりもサイレンスズカの状況が気になっていました。

画面にはぎこちない足取りで旋回をするサイレンスズカの姿が痛々しく映っていました。

後に武豊騎手がこの時の状況をインタビューで語っていた内容が印象的でした。

なかなかいない。あのトップスピードで、あれだけの骨折をして転倒しない馬は。僕を守ってくれたのかなと思いましたね。今でもすごくよく、サイレンススズカのことを思い出すんですよ。せめてあと数百メートル、走らせてやりたかったな。うん、すごい残念。今でも悔しいですもん。

骨折してもなお武豊騎手をかばったサイレンススズカ。
残念なことに怪我の状態はあまりにもひどく、予後不良と判断されました。

1年かけてリベンジを狙っていたこの日が、何の因果かこの馬の命日となってしまったのです。

以下の動画はこのレースの一部始終を含めたテレビ中継です。

この馬の関係者、武豊騎手、そして多くのファンにとっての夢はここで終わりました。

いや、むしろここから夢が始まったのかもしれません。

後にディープインパクトという最強とも思われる馬が登場してもなお、サイレンスズカとどちらが強いかという話題が尽きないように、今の時代まで夢は受け継がれています。

サイレンスズカが伝説となったこのレース、この後数十年たっても忘れることはないと思います。

 

きっと天国でも楽しそうに走り回っていることでしょう。

改めてサイレンススズカのご冥福をお祈りします。

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