私がスズカの強さを認めざるを得なかったレース 1998毎日王冠
毎日王冠と言えば思い出されるのが1998年のレース。
世間でも史上最高のGⅡと名高いレースですが、
私にとっても逃げ馬を追うきっかけになる忘れられないレースです。
今日は馬券戦略から離れて、このレースを振り返ってみたいと思います。
私が競馬を始めてから最初に虜になった馬はグラスワンダーという馬でした。
デビュー戦を馬なりで3馬身差の快勝。
そして2戦目は5馬身差、3戦目の京成杯3歳Sも6馬身差の圧勝と無類の強さを見せつけました。
そして12月のG1朝日杯3歳Sでは、単勝1.3倍の断トツ人気に応え、レコード勝ち。
「栗毛の怪物」としてもてはやされました。
競馬を始めて間もない私はその強さに魅了され、「この馬は歴代最強馬として将来名を残すかもしれない。引退するまでこの馬を追い続けよう!」と心に決めていました。
そんな輝かしい2歳時(以降、現在の馬齢で記述します)を送ったグラスワンダーですが、翌年早々に骨折してしまいます。
幸い、引退となるようなケガではありませんでしたが、春のレースは絶望的、せっかく追いかける馬を見つけた私はかなりのショックを受けたことを覚えています。
一方、この2歳王者が不在の間にまたとんでもない馬が現れます。
その馬は、デビュー戦を7馬身差、2戦目を9馬身差と強烈な勝ち方で勝利を重ね、続く共同通信杯やニュージーランドトロフィーといった重賞も危なげなく勝ち切りました。
その馬の名はエルコンドルパサー。
世間では「グラスワンダーに唯一対抗できる馬」として注目を集めます。
そして本来ならグラスワンダーと争うはずだった3歳チャンピオン決定戦のNHKマイルカップでは(当時は外国産馬はクラシックに出走できなかったため、彼らが出走できる唯一の3歳限定G1でした)、
1番人気に応えて快勝、破竹の5連勝を飾りました。
その後秋を迎え、いよいよ決戦の日はやってきました。
毎日王冠でこの2頭の対決が実現することになったのです。
無敗の3歳馬2頭の直接対決。
競馬ファンが熱くならないはずがありません。
ところがこのレースの1番人気はこの3歳馬2頭のどちらでもありませんでした。
この2頭を差し置いて単勝1.4倍という圧倒的な1番人気に支持されたのは、年初から怒涛の5連勝を挙げていた1歳年上のサイレンススズカでした。
金鯱賞の11馬身差の圧勝のイメージが強く、またG1宝塚記念を逃げ切ったことが評価されての人気だと思いますが、
逆に「これまでは相手に恵まれてきただけ」と思う意見も聞かれ、「グラスワンダー最強」を信じていた私も同様の気持ちでした。
その世紀の一戦を見ようと、G2にも関わらず東京競馬場には13万人の人が集まりました。
今年のダービーの入場者数が14万人ですからその注目度がわかると思います。
レースは、想定通りスズカが逃げる展開。
その後4コーナーまではリードを保っていましたが、直線手前でグラスが仕掛けます。
外からスズカに馬体を合わせようと差を詰めていきました。
そのまま直線に入って差し切る流れか、と思いましたが、そこからが常識を覆すような展開でした。
スズカがまた差を広げ始めたのです。
長期休養明けで体調が万全とはいえない状態で、一度まくってから突き放されたのでは、グラスワンダーに再度追い付く余力はありませんでした。
代わりに後方からエルコンドルパサーが差を詰めてきましたが、それも2馬身半差まで。サイレンススズカの圧勝で幕を閉じました。
このレースを見て「この馬には勝てない・・・」と認めざるを得ませんでした。
このレース、上がりの3ハロンはスズカは出走馬中2位です(1位はエルコンドルですがそれと0.1秒差しかありませんでした)。
スタートダッシュで他を圧倒し、ラストスパートもほぼ1位とあっては、勝てる方法が見当たりません。
「逃げて差す」という最強のスタイルを見せつけられました。
下に載せたのはこのレースの動画です。
上に書いた背景がわかっていればスズカの強さを実感してもらえると思います。
なお、グラスワンダーやエルコンドルパサーら3歳世代の実力がそれほどでもなかったのでは、と思われないために補足しておくと、
エルコンドルパサーは次走のジャパンカップで優勝、翌年に凱旋門賞で2着に入賞していますし、
グラスワンダーはその年の有馬記念、翌年の宝塚記念と有馬記念のグランプリ3連覇を飾っています。
この点からスズカの強さがいかに異次元かがわかってもらえるかと思います。
「最強馬はこの馬で仕方ない。この馬の今後のレースはすべて目に焼き付けておこう。」というのが私の思いでした。
そして私がそう決めた次のレース、サイレンススズカは秋の天皇賞に出走し、まさしく伝説となりました・・・。
最近のコメント